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無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 まぜまぜ正月サロン2012「南芦屋浜見学会」報告   

はじめに


 去る1月22日(日)、NPO法人アート・プランまぜまぜは、「まぜまぜ正月サロン・『南芦屋浜災害復興公営住宅コミュニティアート』をふりかえる」見学会を開催しました。十分な告知ができなかったにも関わらず、神戸や西宮、遠くは東京をフィールドとして活動されている方々など多彩な面々が集まり、見学後の懇談も有意義なものとなりました。当日は、前日までの風雨が嘘のように晴れ、絶好の見学日和となりました。

見学会の目的


 南芦屋浜災害復興支援住宅は、阪神淡路大震災によっと住まいを失った人々のために作られた公営住宅です。震災後の対応に追われる兵庫県や芦屋市に代わり、住宅・都市整備公団(現・UR都市機構)が814戸の集合住宅を建設しました。震災後3年という驚異的な早さで計画から竣工までを行い、1998年3月には街びらきが行われています。
 この団地では高齢者世帯を含む多くの人が、もともとのコミュニティから切り離された形で集まり住まうことから、人々を繋ぎ直す仕掛けとして「コミュニティ&アート計画」が導入されました。
 2011年3月の東日本大震災によっても、多くの街や村が破壊されました。津波の被害を避けるために高台への移転を検討している集落も多いと報じられています。こうしたコミュニティの再生のために、アートが導入されていくことも多いのではないかと思います(京都造形芸術大学の試みなど)。
 しかし、こうした場面にアートを持ち込むときに考えるべきことは何なのか。コミュニティへの配慮はどのようにありうるのか。また善意でなされるにせよ、そのすべてが望ましいことなのか。考えなくてはならないことは数多くあるはずです。その際過去の事例を振り返ることはさまざまなヒントを与えてくれることでしょう。
 この「まぜまぜ正月サロン・『南芦屋浜災害復興公営住宅コミュニティアート』をふりかえる」は、そうした意図のもの企画されました。

パブリック・アートからコミュニティ・アートの流れのなかで


 住宅・都市整備公団はこのプロジェクトより前、「ファーレ立川(1994)」「新宿アイランド(西新宿六丁目東地区第一市街地再開発事業:1995)」などの再開発プロジェクトにおいて「パブリック・アート」として、建築や広場等に芸術作品を恒久工作物の形で設置していく試みをしていました。
 その後2000年の「大地の芸術祭・越後妻有アートトリエンナーレ」、2005年からの「アサヒ・アート・フェスティバル」をなどを契機として、さまざまな地域課題に関わる「コミュニティ・アート」がさまざまなアートプロジェクトなどで行われていくようになりました。そして公共空間や共有空間におけるアートの現場は、先端的な都市デザインがなされる開発地区から、里地里山といったルーラル・エリアへと広がり、また恒久工作物からワークショップやインスタレーションといった仮説的なスタイルへと移行していったように見えます。

 この南芦屋浜災害復興公営住宅での試みは、この「パブリック・アート」流行期と「コミュニティ・アート」勃興期の、ちょうど移行期にあたる時期に顕れたもののように思われます。作品が展開される空間や触れ合う人々ということでいえば、不特定多数の人が利用する公園や街路から、ご近所さんが一緒につかう団地の共用部へと変化し、しかし作家によるハードな作品群はそれまでの、デベロッパー介在型の「パブリック・アート」的なものを引き継いでいるようにも思われるのでした。

当時とそれから


 南芦屋浜災害復興公営住宅「コミュニティ&アート計画」は当時、建築、造園、住民参加型都市デザイン、アート・マネジメントといったさまざまな分野で大きな話題となりました。南芦屋浜コミュニティ・アート実行委員会と住宅・都市整備公団によって充実した記録が書籍の形で残されています。また、都市デザインの専門家集団である都市環境デザイン会議においても、さまざまな議論が行われてきました。当時編まれた記録や議論を見ると、まちづくりからアート・マネジメント、芸術家、さまざまな分野の人々が真摯に関わり、入居前から、住むことになる人々を巻き込んだワークショップなども重ねられてきたことがわかります。具体的な試み内容については、紙幅の関係もあり本記事では触れません。上記のサイト等を参考にしていただければと思います。
 とはいえ、これらの資料はいずれもまちびらき前後の息吹を伝えるものです。その後これらがどう住民たちに生きられたかについては、あまり資料がありません。コーディネートに関わった(株)生活環境文化研究所の橋本敏子氏を中心とした「南芦屋浜コミュニティ&アートプロジェクト記録誌作成チーム」が、2006年に記録誌「暴力とカスタマイズ」を発行していることが注目されます(流通量が少なく、まぜまぜサイドでは今回の見学会までに目を通すことができませんでした)。(株)生活環境文化研究所は、南芦屋浜のその後について2007年までブログで報告を行なっています。

見学地の概要と作品の配置


 では、当日の見聞に話を移すことにします。南芦屋浜団地は阪神芦屋駅から徒歩で約30分。真新しい海辺の街です。デザインされた集合住宅の他、戸建て住宅の街区もあります。そういうところの風景は郊外の丘陵地のニュータウンと変わるところがありません。「コミュニティ&アート計画」が実施された南芦屋浜災害復興公営住宅の概要は次の通りです。
○所在地:芦屋市陽光町6番(兵庫県営)、5番(芦屋市営)
○敷地面積:約4.2ha(県営2.19ha、市営2.01ha)
○計画戸数:県営414戸、市営400戸
○棟数:県営6棟、市営6棟


団地全景の模型写真
都市環境デザイン会議「南芦屋浜災害復興公営住宅団地概要」より)


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住棟と作品の配置(クリックで拡大)

 上の配置図の番号は次の作品の番号と対応しています。
1 サクリファイス(宮本佳明)
2 Time-光と時間(IDEAL COPY)
3 On the other side of the road 道の向こう側(小山田徹)
4 ヒーリング healing(木村博昭+江川直樹)
5 11の扉(赤崎みま)
6 曖昧な空間 wall-floor-wall-ceiling(藤本由紀夫)
7 あしたも あしたも あしたも あいたい。うわーん。いちばん好きな人が、いちばん気持ちいいし。(イチハラヒロコ)
8 浜の春秋(稲畑汀子)
9 注文の多い楽農店(田甫律子)
10 アート車止め お尻合いベンチ


1「サクリファイス」(宮本佳明)と、4「ヒーリング」(木村博昭+江川直樹)は、団地の敷地を横断するような長い作品。9「注文の多い楽農店」(田甫律子)は、県営ゾーン市営ゾーンそれぞれの中央部に作られた「だんだん畑」。10「アート車止め お尻合いベンチ」は広場空間にストリートファニュチュアとして置かれています。この10は作家の作品ではなく、ボランティアの活躍によってワークショップで作られた住民の作品ということです。それ以外の2,3,5,6,7,8は、高層棟のエントランス部分に建築と一体に作りつけられたものとなっています。エントランスやエレベーターホールは、その住棟の人すべての動線が交差するポイントであり、コミュニティ形成の上で重要な場所だからだと思います。

 各作品の設置時の姿やコンセプトについては、こちら「南芦屋浜団地アートワークの概要」を御覧ください。

 当日の全般的な印象としては、経年変化の過酷さを強く感じました。潮風がきつい場所だということと、公営住宅という性質上、外構管理にあまりお金をかけられないという条件もあるのだと思いますが、配管等の金属類の錆びが進んでいて、ところによってはやや荒れた雰囲気になっているところも散見されました。金属を用いた作品についても同様でした。一方、管理密度があまり高くないことが、作品の保全に繋がっているように思えるところもありました。1「サクリファイス」は子どもがよじ登ったりしがちな形態であり、一般のマンション等であれば「子どもが事故を起こさないように」柵をつけられたり、場合によっては撤去されてもおかしくないようなものですが、この団地においては悠然と年を経つつ存在し続けていました。

それぞれの作品について


 実際に観覧した順に従って、各作品に簡単なコメントを加えていきたいと思います。作品タイトルをクリックすると、設置当時の作品紹介ページ(都市環境デザイン会議関西支部によるもの)を参照することができます。


ヒーリング healing (木村博昭+江川直樹)


 団地全体を貫通するピロティ空間の壁面と天井を、藍色で統一したというもの。現時点では錆びが目立つようになってきているのは残念。着彩そのものは作家によるものというよりは、塗装業者によるもののようである。作家がこの団地の計画を行った建築家であることを考えると、全体の都市デザインの一部であるということもでき、これをあえて「アート」という必要はどこにあったのか。そう呼ぶことによってもたらされたものは何なのかについては、参加者の間で議論があった。
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サクリファイス (宮本佳明)


 この作品を構想した宮本も建築家である。ベネチア・ビエンナーレに、阪神・淡路大震災でめちゃめちゃな状態になった自室を再現した作品を出品していた。他「環境ノイズエレメント」など、土地に刻まれた記憶について論じてもいる。「サクリファイス」は、かつて存在した防波堤の痕跡「のようなもの」をあえて荒々しいコンクリートで作ったもの。またその巨大な力で破壊されたような形態は、震災を連想させるものでもある。宮本によれば、「歴史を持たない埋立地の中にあって、そこがかつて海であったことを伝え、入居者の皆さんにとっては生活の最初から懐かしい背景となることを願って」つくった、とのことである。一方「生贄・犠牲」というタイトルには震災を連想させるネガティブな意味合いが感じ取れるし、防波堤があったことと震災で破壊されたことという、二重の捏造をしているいう批判を与えることも可能かもしれない。しかしこのコンクリート塊は潮風による風化を受け、一層歴史的な表情を濃くしつつあった。場所の記憶や風景についてさまざまな思考を誘う作品である。
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注文の多い楽農店 (田甫律子)


 当初より「コミュニティ&アート計画」の中でもっとも注目され議論された問題作である。「ランドスケープ彫刻」であり、住民の野菜栽培によって完成する、ということである。平面的な形状等については田甫によるドローイングが残っているが、実際に目や手に触れる石積みや排水施設等の実際の設計や造形は、造園設計事務所である(株)景観設計研究所が行なっている。また野菜を育てるという住民たちの動きの中に、米国在住の作家は必ずしも日常的には入り込めなかったようである。この「作品」において作家はどのような役割を果たしたのかは議論になった。
 一方で、団地計画の立場からは、この「だんだん畑」が「アート」であることには、実践的な意義もあったようだ。公団住宅や一定水準の民間マンションは、外構部分の緑にある程度の管理費を充当することができる。また公団住宅などでは、住民参加型の花卉等による緑化と管理の試みも行われている。しかしながら、公営住宅においては、そうした仕組みを一般的な住宅管理業務の中で運営するノウハウも資金もないのが実情である。住民自身による関わり(別の視点から見れば「外構の管理」)を作品の一部として含むこの「だんだん畑」は、「アートだから」というエクスキューズによって、住民参加を可能ならしめたのだと、関係者から聞いたことがある。
 現実には、芦屋市営ゾーンはすでに畑としては使われておらず、低木植栽がなされた公園的なスペースとなっていた。(株)生活環境文化研究所のブログによれば、その更新時から推測して2005年の春頃に畑であることをやめたようである。
 兵庫県営ゾーンでは、見学会の時点においても散水用のホースやちょっとしたベンチが置いてあったりして、まだ畑として健在であるようだった。
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アート車止めお尻合いベンチ


  市民参加によって作られたユーモラスなストリート・ファニュチュアである。特定作家の作品ではなく、「注文の多い楽農点(だんだん畑)」とともに、参加型のコミュニティ・アート的な側面を強く持つものである。子どもの絵をはめこんだ車止め、ひとりひとり「お尻」で型をとったベンチは、関わった人にとっては記憶をそこに留めるものとなっているだろう。
 
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曖昧な空間 wall-floor-wall-ceiling(藤本由紀夫)


 サウンド・アーティストとして著名な藤本による空間作品。エントランスホールの、天井、床、2つの壁の素材をすべて変え、それぞれに微妙な角度を持たせることで、味わいを作り出している。特に漆喰の壁は深い表情を帯びてきていた。藤本自身によれば「屋外であり、屋内でもある。通路でもあり、部屋でもある。パブリックでもあり、プライベートでもある。有用でもあり、無用でもある。」ということである。
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浜の春秋 (稲畑汀子)


 有季定型俳句の世界では頂点をなす「ホトトギス」誌の主宰である稲畑の、新年、春、夏、秋、冬の俳句が、金属板に刻まれて設置されている。芦屋浜の季節ごとの風光描いた句なのであろう。エントランスのつくりは標準的であり、経年変化も少ないように見えた。
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11の扉 (赤崎みま)


 木枠の扉や郵便受けの扉の向こう側に写真などが設置されている。写真は結晶や液体のクローズアップのように見える、色鮮やかなもの。郵便受けの作品には、センサーによって点灯される仕組みのものもあった。作品のコンセプト等については上記のリンクを見ていただきたい。ここはエントランスも作品も経年劣化が激しかった。郵便受けの向こう側の写真だが、アップデートがあれば住民も来訪者も覗き込み続けたと思われるが、そのあたりはどうだったのであろうか。
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あしたも あしたも あしたも あいたい。うわーん。いちばん好きな人が、いちばん気持ちいいし。 (イチハラヒロコ)


 イチハラ独特の言葉による作品。稲畑作品のようなステンレス板のような支持体も用いず、ホールの内壁に直接ペイントされている。既存のゴチック体のように見えるが、この文字の描き込みについては、作家と現場の間で相当シビアなやりとりがあったと聞く。照明器具の汚れが気になったが、作品自体は変わらぬ力を持ち続けているように感じた。
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On the other side of the road 道の向こう側 (小山田徹)


 エントランスを通る人の姿を映し出す鏡と、さまざまな表情の「道」とその向かい側の写真と、言葉によって構成された作品。作品パンフレットによれば「たくさんの鏡を壁に配したのは、そこに映るあなたの姿は一人であっても、その反対側には、地球上にいるあとの50億人が生活していることを表そうとした」とある。他者への想像力を持つことを訴えるもののようである。現存しないが、小山田は街びらき以降数年にわたり、週末ごとに屋台型の移動式カフェを運営していたという。これはこの団地で行われた、最も「コミュニティ・アート」らしい試みだったかもしれない。
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Time-光と時間 (IDEAL COPY)


 壁面のあかりが時間を告げるというシンプルな作品。造形もミニマルである。光る明かりが変わるところを見てみたいと思った。
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おわりに


 時を経て朽ち始めている作品もあれば、変わらぬものも、むしろ味わいを増しているものもありました。総じて「美術」らしくないものの方が、長生きをしている印象も受けました。アートとしての強度を持ちながら、アートであることをいつか忘れられてしまうようなもの。ただ、長生きがここで必要だったかどうかもまた別問題なのかもしれません。初期において人同士をつなぐことができたら、それでよかったというものもあったでしょう。その場合には恒久工作物としての設置の是非が問われることにもなるのかもしれません。
 「だんだん畑」はすでに「芸術作品」としての姿はありませんでした。またこれも必ずしもネガティブに捉える必要はないのかもしれません。コミュニティの関わり方が変更されることで「作品」であることを「卒業」するという場合もあるのでしょう。作家側にも作品がそうなっていくという覚悟が求められているような気がしました。

 見学会の後は、南芦屋浜のショッピングセンターにできたファミリーレストランで懇談しました。参加されたそれぞれの中で今回の見学会の経験が反芻され、そのまわりに伝わっていくことで、今回の震災からの復興にも遠く響いていったらいいなと思っています。
 この見学記を読まれた方々も、是非南芦屋浜に足を運んで、コミュニティ再生のために作られた作品たちがどういう時間を経て今ここに在るか、考えていただければ幸いです。

 この見学会は、住宅管理者である兵庫県住宅供給公社、芦屋市都市住宅部住宅課のご理解と懇切なご助言により初めて実現しました。
 見学会に参加くださった皆さん、団地関係者の皆さん、そして敷地内を怪しくうろつく私たちをとりあえず見守ってくださった、団地にお住まいの皆さんに、厚く御礼を申し上げます。

(文責:下村泰史)

by mazemaze1 | 2012-02-06 21:38 | 活動報告

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